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森の生活

森の生活

海外ユースホステル初体験

高山のユースホステルで、アメリカ人とドイツ人、そして私の3人が同室になった事がある。日常会話程度はできるので、話をしていたが、わからないところがあるとだまりってしまう私。シャイなのである。そうしてふたりの話を聞いている。ふたりが盛り上がったあと、「わからなかったと」と言うと、「You must ask」といわれる。やっぱりアメリカ人。黙っていはいけない。その後、気をつかってくれたみたいで、3人で話をして、楽しかった。そろそろ寝ようかと、一人が電灯を消してくれて「good night」といって眠りについたあの一晩は楽しい思い出である。これが海外だったらもっと印象深い一晩であったであろう。

 さて、はじめて海外のユースホステルに泊まった。上海のユースホステルは「浦和飯店」という名前である。ドミトリーともいう。 ガイドブックの「とにかく安くすませたいひとはここ」という記述にひかれていったら、ユースホステルだった。
 受付にいくと「ドミトリー オア ……」とまず聞かれる。ツインの部屋もあるようだ。「ドミトリー」と言うと、パスポートの提示と宿泊カードに記入するように言われたのを覚えている。手続きを済ませると、別にカウンターに行くように言われる。支払いは別のカウンターであった。ここで支払いを済ませる。一泊55元であった。(一元15円)。英語で手続きを済ませた。英語はアメリカ旅行のときよりもわかりやすかった。
 私の泊まった部屋は6人部屋であった。部屋にはバスルームがあった。その前に泊まった中国人が泊まるホテル(日本人は滅多にとまらないとおもわれるホテル)よりも、大きなバスルームであった。その前にとまったホテルは壁が薄く、となりの部屋の声が聞こえてきそうなくらいだったのだが、ここはそんなことはない。ベッドも大きい。部屋は清潔であり、相部屋なことを除けば、快適そのもの。相部屋も一人旅にはいいものだけど。
 部屋につくと、ふたり連れの人がいた。「hello」と挨拶はしたたし、向こうも挨拶をしてくれた(当然か)が、緊張していた。ふたりも意識していたようだが、声をかけずらかったようだ。荷物の整理をしてベッドに横になっていた私はそのまま眠りについてしまった。人民広場からここまで歩いて来たので疲れ果てていた。しかも道に迷いながら。何回方向があっているか聞いたことか。言葉はボティランゲージであった。素朴だが、親切であった。ひとりでタクシーに乗れば良かったのだろうが、怖かった。地球の歩き方だったかに遠回りをされた話がのっていたからだ。
 目がさめると誰もいない。食事に南京路のあたりにでると、遅くまで開いているようで、ショッピングをして、時計をみるともう10時すぎ。慌てて帰ると、その2人ずれがいる。シャワーをとってもいいかときく。しかも長いかもしれない前もっていった。私はお風呂は大好きなので。「ok」という返事をもらう。しかしシャワーがちゃん出なくて、困った私はヘルプを求める。あわてて飛んできて、助けてくれた。その1件で緊張した空気は去った。ふたりはフランスから来たそうだ。
 シャワーを終え、疲れたので寝ようかと思ったら、またひとり来た。話をしてるとアメリカ人であった。この人が戻ってきた時間は0時をすぎていた。門限はないのかもしれない。
 高山の時は、5時をすぎると行くところがない観光地だったが、上海はかなり遅くまで遊べるところがあるようで、みなさんそれぞれ楽しんでいたようで、ゆっくり話をすることがなかった。

 つぎの日から数日一緒だったドイツ人の人とはいろいろと話をした。世界各国をまわっていて、半年後くらいに日本にもくる予定だそうだ。1度も帰国をしない予定だといっていた。うらやましい。

 私が滞在した期間はAPECが開催されていて、ある特定の国の外国人の入国が制限されていたということをあとから聞いた。そのためは部屋は空室が多かったようだ。(テロ事件のこともあり)



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